2007年6月18日 (月)

『 M R I   vol.1』

《♪ ドンチャカ パカチャカ ドンチャカ パカチャカ ♪》

サンバのリズムが大音響で鳴り響く。

カプセルホテルの寝室のような白い洞の中で、
白いまな板の上に寝かされた僕は、宇宙用のヘルメットか近代ヨーロッパの冑(カブト)のようなものを被せられている。

暫くすると、大きな菜っきり包丁か中華包丁のようなもので、
これまた大音響なのだが、

《 トントン トンドン トントン トンドン 》
僕は千切りにされたり、

あるいは

《 コンゴン コンゴン、 コンゴン コンゴン 》
トンカチで叩かれたりと、

《♪ ドンチャカ パカチャカ ・・・ ♪》

これは頭から首に掛けてのMRI、撮影時の様子の一部だ。
動かないように言われ、およそ15分程度その状態だった。

目を開けていても変化がおきないので、目はほとんどつぶっていた。
冑の中で僕を切り刻む音は止むことなく、けたたましく、鳴り続けている。

《 トントン トンドン トントン トンドン 》

《♪ ドンチャカ パカチャカ ドンチャカ パカチャカ ♪》

サンバのリズム。

検査中に異常を知らせるアラーム用のスイッチ(管の先に空気の入った楕円球のボール:お医者さんが血圧を測る時に使う空気入れのようなもの)を居眠りしそうになった瞬間に落としそうになってしまう。

後残り少しで終わるというところで、生唾を「ゴクリ」と飲んでしまい、喉(ノド)がちょっと太くなり、僅かに動く。

しかし包丁のリズムが変わることはなかった。

《 トントン トントン トントン トントン 》

《♪ ドンチャカ パカチャカ  ドンチャカ パカチャカ ♪》

磁力で身体の中を、あっちから、こっちから細かく輪切りにして、それらを合わせ見ると、どこに何があるか分かるというものだ。
40歳も過ぎたので、健康診断で頭の中も見てもらった。

                              (続く)

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2007年6月10日 (日)

『 或る日の夕食 』(2007年 1月)

・ 生ビール       ・ スモークサーモンのマリネ   
・ 白身魚焼き      ・ 生ビール
・ がんもどきとかぶらの汁餡
・ 豚の角煮       ・ 甘エビの刺身    
・ カレイのグリル、バジルソース
・ 生ビール       ・ シュウマイ      
・ サラダ(トマト・レタス・キャベツ)
・ 焼きジャケ       ・ 切干大根       
・ 牛筋のシチュー    ・ 生ビール
・ えんどう豆のにんにく風味煮
・ 白身魚とかぼちゃのタルタルソース
・ 芋焼酎(白波)
・ こんにゃくとほうれん草の白和え
・ 焼き鳥(ネギ間、つくね)
・ お新香(蕪、大根、きゅうり)
・ もずく酢        ・ 芋焼酎(西海の華) 
・ ひじき煮        ・ 鱸(すずき)のあらい
・ イワシの竜田揚げ  ・ 寄せ豆腐(冷奴)   
・ バンバンジー     ・ スティック乾板
・ 梅酒          ・ 高野豆腐煮      
・ 刺身こんにゃく    
・ かぼちゃとトマトのイタリアンサラダ
・ 梅酒(蜂蜜入り:)
・ 玄米パン、クロワッサン(カスタードクリーム入り)
・ 蛸山葵(たこわさび) ・ スティック乾板
・ 梅酒(蜂蜜入り)
・ フルーツポンチ    ・ コーヒーゼリー
・ 白玉善哉(しらたまぜんざい)
・ コーヒー(温)      ・ 緑茶(温)

ビュッフェタイプのレストランで食べた料理の数々。
切り身も小鉢も小さいので、二人でも数多く楽しめた。
午後六時より四時間。
飲み放題、食べ放題で一人、2980円也

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2007年6月 7日 (木)

『 靴みがき(後編) 』

ブラシとウエス(使い古しの綿シャツとか:元々は「waste(くず)」から由来する。ボロ布やボロのこと:だそうだ(三省堂「広辞林」より)で、埃やドロなんかを落とす。

靴クリーナー(クリーム)でさらに細かい埃をウエスで拭取る。

革の表面が次のクリームと馴染みやすくなるよう、湿気を帯びるのを待つ。

続いて靴の色に合わせた靴クリームを全体にまんべんなく、また、色落ちしてしまったところには、たっぷり「染色する気持ち」で塗りこむ。

他の靴も同じ順で進めるので、ここでしばし時間をおくことになる。

クリームが靴の肌に染込むのを待つように。

最後はまた使っていない「ウエス」で丁寧に「光れ、光れ!」と念じながら、革の表面を磨く。

するとさっきまでしっとりなめし革だったのが、見る見るうちに光を反射し始める。

革靴の質感の中に輝きを持つとそれは『艶(つや)』と呼ばれる。

手入れの行き届いた靴には、この『艶』が、しかも重厚な艶がある。

僕のお気に入り靴に、黒革のポストマンシューズ(郵便配達夫が履く、底が真平らの靴:《RED WING》社製)というのがあった。

この靴は良く履き、よく磨いた。

ある時、磨きたてのこの靴を履いて出かけた。

電車を乗り継いでのことだった。

JR品川駅のホームを歩いていたのだが、アナウンスの言われるまま、線路に落ちないよう足元(あしもと)に気を使ったその時、僕は目を奪われた。

快晴のその日の青い空が、自分のお気に入りの黒い革靴に映っていたのだ。

僕は驚いたが、その日一日、青い空を履いて、東京の街を歩いた。

もちろんすこぶる爽快な気分だった。
                            (了)

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2007年5月31日 (木)

『 靴みがき 』

休みの日、家内が掃除をしているうちに、通勤用の靴を磨いた。
まとめて四足。黒二足、茶、エンジ各一足。
あっ、それとオフタイム用のワークブーツ一足は衣替えのため。

靴みがき後、茶色初日、雨・・・・。
磨いたばかりの靴はやはり晴れた日に履きたいが、靴クリームに含まれる油脂成分が、水をはじいてくれるだろうと気を取り直す。
玄関を出ると案の定、雨雫が茶色い靴の上を転がった。

通勤電車の中、よく手入れされている靴は他人のモノでも、見ていて気持ちが好い。
テレビドラマにサラリーマン家庭だと、専業主婦の奥さんが靴を磨くシーンが、・・・なんてのは、20年前の話か、
今時は、ポリの容器(大体黒か黄色だが、)の先っぽにスポンジがついてそれでツヤ出し素材の入った液体を塗りつけてお終いか、

近頃、都心の街に出ないせいか、靴みがきのおじさんや、おばさんを見掛けることが無くなった。
顔や手を黒くしたおばさんの前に、高い位置から見下ろすように座るあの椅子。
今思えば、とても違和感を覚える。
自分はおそらく一生座ることは無いだろう。だがどこかで、あの差別的な階級社会的な、スタイルに位置してみたい自分が居たのも事実だ。
昔は靴を磨いてもらうのに、いくら取られるだろう、と、値段が心配だった。
そこにも、お金持ちと貧しい人の対比を無意識に感じていたのだと思う。
いま自分もサービス業、接客業で生業を立てているので、靴を磨く側の立場感情は少し分かるような気がする。
しかしあの頃お金持ちにしかできない事、お金持ちが格好イイと思った瞬間があったんだろう。
あの椅子に座りたいと思ったのがその時なのだと思う。              (続く)

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2007年5月25日 (金)

ヒヤシンス -水栽培-②

今回の花卉は昭和を越え、大正、明治の時代をも感じさせる極々スタンダードなものだ。
球根は紫、白、ピンクの順に選んだ。芽が出るまで、気温の低い、陽の当たらないところに置き、芽が出たら陽の当たる温かい場所へ移動。
根がモシャモシャと花卉の底に着いたら、水を七、八分目まで減らし、根から酸素を吸わせるとか。
週に一度は水を入れ替えするうちに、ピンク、白、紫の順で花が咲いた。

初めは北側玄関の下駄箱(下駄は一足しか入っていないが)の上で、芽を待った。
「行ってきます」の際に確認。
もやしのような根がくらげの脚のように、じょろじょろと伸びる。
里芋のような球根から薄草色の爪型の芽が、生え出てくる。
芽は10cmも伸びたところで蕾を見せ、一斉に花開く。
白い花はショートカットのパーマ頭のようだ。
ミニスカートとワンピースを着せれば、70年代のポップな女の子といった様相である。
しかし、見つけた時の喜びとはうって変わって、水栽培用のポットの飾り気のないこと、
誰もいない学校の教室のような薄ら淋しい感すらある。
これは水栽培独特の理科の実験的な(根の伸び方まで見張ることができる、無色透明のスケルトンな)様子がそう思わせるのかもしれない。
植木鉢や土の方が飾り気があり、生々しさが見えにくい分、自分の楽しみのイメージを(僕はね)植え付け易いのかもしれない。
どうせなら、楽しい方がよいしなぁ。
次はあるかな?水栽培。

                      ( 了 )

                        

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ヒヤシンス -水栽培-①

2007年2月16日

今日は高倉健と金正日とうちの親父の誕生日だ。
この時期、うちのベランダのプランターは何の花も咲いていない。
去年来、休日もバタバタが続き、水遣りすらままならず、土を乾かしてしまう日が何日も続いた。

秋植えのパクチー(コリアンダー)がもさもさと育ち始めているのと、何かの付録でついてきた種が、もうじき蕾を膨らませそうなのと、枯れきれない日日草の葉が黄金色に輝いているくらいだ。

室内には、二度目の試みの水栽培。
昔懐かしいヒヤシンスだ。(もちろん現役だけど)
去年は水栽培でチューリップをやってみたが、失敗に終わった。
その理由は水栽培用の球根を選ばなかったこと。
そして前回は水栽培用の花卉がなく、ペットボトルを輪切りにして、注ぎ口をひっくり返して、球根の台にする、そんな簡単なエコロジーな花卉を作ってやってみたのだが、
芽が伸びるところまで入って、とうとう蕾の膨らみを見ることはなかった。

今回はまず、花卉である水栽培用のポットを見つけた喜びが球根を買わせ、インターネットで「水栽培」の検索をさせたのだ。

その花卉は無色透明のガラス製のもので、日本酒用のお銚子をもっとグラマラスにしたような、ワインのデカンタをずんぐりむっくりさせたような、要は球根が落ちないように、ポットの上の方が括(クビ)れている。
おそらく昔から変わらぬデザインのそれである。
僕が幼稚園の頃か、小学生の頃か、皆で使った花卉はプラスチック製で鉢に孔の開いた蓋をしたような、いかにも昭和テイスト溢れる質感の薄紫色の半透明のものだったと思う。

                      ( 続く )

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2007年5月21日 (月)

『 パンツ 』 (いろはの -衣-)

(値の張るものは丈夫だ。)

これは先のダボシャツ、ステテコに続いて、肌着つながりで、パンツのことである。

今の言葉では、「インナーの前開きボクサートランクスタイプ」のことで、

当時(中学時代より白ブリーフを卒業し)僕らは「柄パン」とか「デカパン」とか呼んでいたと思う。

要は、下着のパンツでブリーフではない方のこと。

(今はもっと色んな種類があります。

・ストレッチ総柄前開きボクサー    ・前開きプリントトランクス        

・前開きニットトランクス         ・前閉じアウトゴムストレッチブリーフ 

・前閉じ太(ふと)リブビキニブリーフ  ・前開き太リブボクサー         

・ストレッチ前閉じボクサー       ・前開きボクサーブリーフ        

・前開きデニム調ボクサー       ・前開きニットトランクス         

・ジョギング型前開き先染めトランクス 

・ボックス型前開きプリントトランクスなどなど            by ニッセン)

そのパンツが近頃安いものしか買っていないからか、あまりにももたない。

二枚で\500とかの代物で、一年もたたない内にウエストのゴムが伸びる。

消耗品と考え、良しとするか、額も額だし。

ただ生地はまだまだ活き活きとした色をしているのに、上記『リブ』部分が伸びて、腰にゆるく、パンツはズボンの中で下がり始める。

なんとも、しゃくな事だ。(ズボンの中でローライズ、尻の上側の割れ目が露出していたりする)

一方、それらに対し、僕はいまだ約15年前に買った柄パン(「総柄プリントトランクス」に当たる)を何枚か現役で穿いている。

これらは、僕が鳶職(とびしょく)の頃、仕事が早く終わり、銭湯で汗を流した後に、買って穿いて帰ったものだ。

「一枚、\1000」

鳶をしていた一年半の間におそらく50枚くらいは穿いて帰ったと思う。

柄はまったくもってセンスのかけらないものから、幾何学模様、ブリティッシュスタイルのタータンチェックや斜めのラインの入った(レジメンタル?)もの、ゴルフや自動車、馬、犬など総柄など。

家が遠い訳ではなかったが、家を出る前は終わったら真直ぐ帰ろうと思っていても、陽の高いうちに入る大きな湯船の味を覚えてしまったら、もうたまらない。病みつきになった。

そして、汗に濡れたパンツを穿いて帰ることなどできずに、ついついその

「一枚、\1000」

のパンツを買ってしまう。

ちょっとイキがって高くても買ってしまうノリがあったのと、

そのお風呂屋さんは同級生の親御さんが営んでいたこともあり、番台に座るおばさんに儲けてもらいたいと思ったり、まぁこれも格好つけかな。

50枚のうち、10枚くらいは風呂の終い掃除の手伝いをして貰ったりもしているので、二割引の\800くらいにはなっていたか。

汗を流して、さらさらのパンツを穿いて独り帰り道の焼き鳥屋でビールとつまみを、なんてのを覚えたのもこの頃。

とにかく、その時買ったパンツが何ほど丈夫で、生地が透け透けになって、最期はしゃがんだ時にお尻のほっぺのところがビリビリに裂けて、ようやくお役御免になる。

そこまでの間にはその時代の都度、ラッキーな柄で験を担いでみたり、

今で言ういわゆる勝負パンツとか(ほとんど仕事に関してですけどネ)

パンツで占いができるほどその種類を楽しませてもらった。

まだ2~3枚残っている彼らに賞賛の拍手を送りたい。

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2007年5月20日 (日)

『 色は匂へど (GW編) 』

桜が青葉を繁らせると遅咲きの八重桜やツツジ、サツキが途を飾る。

駅までの八分間の下り坂。

レンガ貼りの塀からアイビーを溢れさせる家、松葉菊を植えた生垣。

区議選の投票所だった小学校では藤棚の蕾に気づき、

以後二週間も道すがら、横目に通り過ぎるのが楽しみになる。

緑の葉に薄紫の花びらが連なり、わずかに色が浮き立つ。

風にそよぎ揺れる。

ここの小学校は桜の木ももちろん立派だ。

正門すぐ脇のそれは太い幹から、門の上にまで枝分かれし、

桜のアーチをくぐって新入学、新学年を迎えることになる。

実はこの小学校の桜の見所は高台から見下ろす校舎裏側の山桜群だと思う。(群はオーバーかな)

それほど陽が当たらない為、淡い桜色が少し濃く見える。

30メートルはあろうかという木の枝いっぱいに花びらをつける。

桜でできたレースのカーテン越しに校舎の廊下が見えたりする。

高台の道の上から桜の木を幾本も重ねて見る景色も満開の時はなかなかのものだ。

ゴールデンウィーク。この時期玄関を出てすぐのところで甘い香りが鼻を衝く。

香水ほど棘のない、自然な刺激臭。

インターネットで花や葉、木の立ち姿でその名を見つけた。

「吸葛」(スイカズラ)だった。

これはその見た目にも驚いた。小さく細長い花がちょっとした滝のように降りそそいでいる。

その大量の花弁から甘い香りがあふれ出ているから、その匂いたるや並でない。

風向きによっては路地を一つ曲がってもまだ香る。

陽射しが強まり、少し汗ばんだり、五月の連休に爽やかな夏日を迎えると

僕の大好きな匂いが、待ちに待っている季節の風が鼻を通る。

六月の初め、僕の地元では、都内でも屈指の規模の祭礼がとり行われる。

もの心つく頃から、四十を過ぎるこの歳まで、毎年このお祭りを僕は楽しみにしている。

歳はとっても、一年の中の、人生の中の一つのリズムになっている。

(もうじきだぁ)と感じさせてくれるのが、この青臭い匂い。

熟した樹から滲み出る分泌液の、生きた匂いとでも言いましょうか。

幼少期、遊び場だった家の前のお寺の境内にも生い茂っていた。

そのお寺のお使いのおばさん曰く、

「椎の樹」の匂いだという。

僕はこの匂いが好きだ。

町の樹や花が香りを風に乗せて、季節の到来を知らせてくれる。

毎年の事ながら、心躍る自分がいる。

僕の身体も自然の一つなのだろう。

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2007年5月15日 (火)

宝くじ

今回はおそらく当たるであろうと、きっと当たるはずだと確信にも似た感覚を持って、宝くじを買った。

家内に『 今日は絶対買うから、今日こそは忘れないでね 』
と朝、家を出る仕度をはじめる頃から執拗にそう言った。

『理由は訊かないで』、『言わないけど』、『今までは言っちゃったから当たらなかったんだよ。』

これは、察しのとおり《 夢見 》のことだ。

かなり前、十数年も前のことか、あまり年数は関係ないのだけれど、
宝くじを買うと袋ではなく、三つ折の包装紙に挟んで渡された時だ。(たぶんバラ買いの時)
その包み紙に当選者のエピソードが綴られていたことがあり、この時に読んだ《 夢見 》の話が忘れることができない。引っかかる。
その《 夢見 》を信じ、というか標というか、宝くじ購入の最大の決め手と考えている。

その話の当選者は、『 富士山 』のくっきりとした夢を見たその日に、宝くじを購入し、
1等、一千万円を当てましたという内容だった。
さらに、一富士、二鷹、三なすびという良しとされている《 夢見 》が、幸運をもたらすよ、というものだった。

そして僕の見た夢である。

頂を白く染めた『 富士山 』が裾野まで、かなりくっきりと、・・・でもないか、
それでも見紛うことなく『日本一の富士の山』である。
そこに、その青い空の風景に『二鷹』どころか、一羽の丹頂鶴が飛来してきたのだ。!!!!!
こんな夢、脳みそにどんな細工をしたって、めったに見られるものではないはずだ。
あまりにもお目出度いその夢が、宝くじの当選を予期せずして、何だというのだ。

そんな思いを胸に、僕と家内は(ではなく僕は家内と)フラフラと休日の街に出た。

「宝くじ、宝くじ」と思ってはいても、過去にやはり《 夢見 》で、うっすら現われた『 富士山 』程度で当選がなかったことや、
また、くじはやはり運ものだとおもっているので、わざわざ「よく当たる!」とか「1等出ました!」という看板の店にまで行って買うという主義でもなく、
フラフラした流れの中で宝くじ売場があって、買えれば良し、なのだ。

そして、横浜、川崎と回り、最後、家に近い大井町に着いた夕方、家内言われるまで忘れていた宝くじ購入を果たすことができた。
スクラッチ10枚と東京都バラ10枚の都合四千円分を購入。

『連番じゃなくて、イイのぉ?』
と家内は言う。
前後賞合わせ1億円だからだ。
『ああ、いいんだ。』
僕は金額ではなく、高額を当てたいのと、
『番号を確認する楽しみがないから、バラでイイ』
と答えた。

抽選日の確認もせぬまま、二週間ほど過ぎた。
これまた、家内に言われ気づいた。
インターネットで宝くじのホームページを検索し、いよいよ当選番号の確認。

1等、僕は「組」と頭の番号から確認をする。そして、下の桁へ、・・・残念。

結果は5等一枚、6等一枚の1,200円だ。
『富士山と鶴』の《 夢見 》でそれだけかと思うなかれ、
2等、1千万円の当選番号が「18組 18●●●●9」
そして、僕が買ったくじにあった番号が「18組 18●●●●2」

ちょっと痺れた。

僕はバラを買って、7番違いだったから、バラを10セット買っていれば、一千万円は当たっていたということになる。
その売場には「2等、一千万円出ましたぁ!18組 18●●●●9」と貼り紙がなされているだろう。

《反省と対策》
僕は今度から、そんなイイ《 夢見 》の時は、フラフラと無意識に買うのではなく、
バラを100枚買ってみたり、『当たり出ましたぁー!』の売場に足を運んでみることにするかなぁ。

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2007年5月12日 (土)

黄色い・・・プレーンオムレツ

今朝、フライパンを振りながらその黄色い卵の揺れる姿で思い出した。

今では宅配ピザもスパゲッティカルボナーラもベトナム生春巻き(ゴイクン)もそう珍しいものではなくなったけれど、昭和四十年下町に生まれ、育ったこの僕が、中学三年生のときに見たそれは、かなり衝撃的なものだった。

高校受験のために、中学三年の夏休みから家に近い町塾(学習塾)に入った。

そこには今まであまり感じたことのない、オーラを持った女性が居たのだ。
ちょっと品が良さそうな、飾らない育ちの良さを感じさせる風情、佇まい、

仮に「●野さん」としましょう。(下の名前が思い出せないのですが)
「●野さん」は一つ上の学年で、そのオーラとは関係なく(?)普通の都立高校へ通っていた(体育祭ではチアリーダーなんかをやっていたようですが)
(短大卒業後には就職、さらに独学で勉強の後、外資系国際線キャビンアテンダントに転職の噂を聞いたので、そのオーラの面目躍如といってところか、)

遅れること一年、ぼくは「●野さん」とは別の都立高校へ進んだ。
あこがれの先輩であった「●野さん」はその役まわりを演ずるがごとく、僕を可愛い後輩として、自宅に招いてお祝いをしてくれたのだ。
「●野さん」の家は都心のその土地でもまだ珍しかった頃のマンションで、驚いたのは、廊下を挟んで2部屋を所有していたことだ。

僕らはお母様の居ない別室で紅茶をすすりながら、「●野さん」の卒業アルバムを含むスナップ写真を見せてもらうという、テレビドラマのワンシーンのようなシッチュエーションで語らい、過ごしていた。
しかし、その後は、期待する流れではなく、緊張もあってか、お腹を冷やしてしまった僕は、部屋と扉一枚のトイレで用をたす羽目になる:泣
色気も何もあったモンではない。
僕は「●野さん」に心配されながら、お母様の居る本宅の部屋で、夕食をよばれた。
僕はそこで生まれて初めて食べる料理に出会ったのだ。

『 何にもないけどぉ 』
ママさんコーラスに参加しているであろうお母様の声と共にテーブルに並べられたのは、淡いレモンイエローのオムレツである。

(下町のおばぁちゃんこの僕の家では、『なんにもないけど』といって、大皿にその日のメインの肉料理:豚肉と野菜の炒め物のような、と、サブ:イワシの梅煮のような、と、煮物:ふきやら、里芋やらの煮っころがしのような、と、箸休め:たらことか、こぶの佃煮とか、と、当時30年来の糠床で漬けられたお新香:現在60年物、そして味噌汁が並べられていたが)
「●野さん」ちは各人のプレートにオムレツとサラダ、そしてご飯と味噌汁、お新香はあったか?で、ホントに何もない(失礼ですが)ことにビックリした。

そこで僕が初めて口にしたのがそのオムレツだ。
家で食べるオムレツは中に挽肉とタマネギがバッチリ入った玉子焼きに真っ赤なトマトケチャップを『トッ、プッー』と掛けるのがそれである。
しかし「●野さん」ちのそれは少し平べったく、ボリュームがない。それでも色といえば誠に見事で、クリーミーなレモンイエローだったが、

そしてそれを食べた時の僕の衝撃を見計られたかのように「●野さん」は言った。

『 プレーンオムレツ♪ 』

その初めての味は(これは呼びたくないのに呼んでやったんだから、ちょっと嫌がらせをしてあげよう。)の味か、(こちらのお母様は味覚音痴?)としか、思えないものだった。
玉子焼きなら甘いものだし、オムレツは先のようなものだし、薄い塩味にとろけるチーズが入っていたような、(それならチーズオムレツだ)そしてケチャップなし。これで白いご飯を食べろというのは、軽い拷問である。

その後、グルメブームの到来により、様々な食文化や料理が紹介され、また自分でも外食によっていろいろな味を経験してきた。
有名シェフや芸能人がフライパンを振り綺麗なプレーンオムレツを仕上げているのを見ると、自分でもそんな玉子を焼き上げてみたいと思うようになったり。

四十歳を過ぎた今、僕は自分で育てたバジルの葉を乾燥してミルしたものを卵にまぶし、今日食べる昼の弁当用にとフライパンを揺さぶるのであった。

(「●野さん」のお母様ごめんなさい、そしてごちそう様でした)

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