心と体

2007年6月18日 (月)

『 M R I   vol.1』

《♪ ドンチャカ パカチャカ ドンチャカ パカチャカ ♪》

サンバのリズムが大音響で鳴り響く。

カプセルホテルの寝室のような白い洞の中で、
白いまな板の上に寝かされた僕は、宇宙用のヘルメットか近代ヨーロッパの冑(カブト)のようなものを被せられている。

暫くすると、大きな菜っきり包丁か中華包丁のようなもので、
これまた大音響なのだが、

《 トントン トンドン トントン トンドン 》
僕は千切りにされたり、

あるいは

《 コンゴン コンゴン、 コンゴン コンゴン 》
トンカチで叩かれたりと、

《♪ ドンチャカ パカチャカ ・・・ ♪》

これは頭から首に掛けてのMRI、撮影時の様子の一部だ。
動かないように言われ、およそ15分程度その状態だった。

目を開けていても変化がおきないので、目はほとんどつぶっていた。
冑の中で僕を切り刻む音は止むことなく、けたたましく、鳴り続けている。

《 トントン トンドン トントン トンドン 》

《♪ ドンチャカ パカチャカ ドンチャカ パカチャカ ♪》

サンバのリズム。

検査中に異常を知らせるアラーム用のスイッチ(管の先に空気の入った楕円球のボール:お医者さんが血圧を測る時に使う空気入れのようなもの)を居眠りしそうになった瞬間に落としそうになってしまう。

後残り少しで終わるというところで、生唾を「ゴクリ」と飲んでしまい、喉(ノド)がちょっと太くなり、僅かに動く。

しかし包丁のリズムが変わることはなかった。

《 トントン トントン トントン トントン 》

《♪ ドンチャカ パカチャカ  ドンチャカ パカチャカ ♪》

磁力で身体の中を、あっちから、こっちから細かく輪切りにして、それらを合わせ見ると、どこに何があるか分かるというものだ。
40歳も過ぎたので、健康診断で頭の中も見てもらった。

                              (続く)

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2007年5月20日 (日)

『 色は匂へど (GW編) 』

桜が青葉を繁らせると遅咲きの八重桜やツツジ、サツキが途を飾る。

駅までの八分間の下り坂。

レンガ貼りの塀からアイビーを溢れさせる家、松葉菊を植えた生垣。

区議選の投票所だった小学校では藤棚の蕾に気づき、

以後二週間も道すがら、横目に通り過ぎるのが楽しみになる。

緑の葉に薄紫の花びらが連なり、わずかに色が浮き立つ。

風にそよぎ揺れる。

ここの小学校は桜の木ももちろん立派だ。

正門すぐ脇のそれは太い幹から、門の上にまで枝分かれし、

桜のアーチをくぐって新入学、新学年を迎えることになる。

実はこの小学校の桜の見所は高台から見下ろす校舎裏側の山桜群だと思う。(群はオーバーかな)

それほど陽が当たらない為、淡い桜色が少し濃く見える。

30メートルはあろうかという木の枝いっぱいに花びらをつける。

桜でできたレースのカーテン越しに校舎の廊下が見えたりする。

高台の道の上から桜の木を幾本も重ねて見る景色も満開の時はなかなかのものだ。

ゴールデンウィーク。この時期玄関を出てすぐのところで甘い香りが鼻を衝く。

香水ほど棘のない、自然な刺激臭。

インターネットで花や葉、木の立ち姿でその名を見つけた。

「吸葛」(スイカズラ)だった。

これはその見た目にも驚いた。小さく細長い花がちょっとした滝のように降りそそいでいる。

その大量の花弁から甘い香りがあふれ出ているから、その匂いたるや並でない。

風向きによっては路地を一つ曲がってもまだ香る。

陽射しが強まり、少し汗ばんだり、五月の連休に爽やかな夏日を迎えると

僕の大好きな匂いが、待ちに待っている季節の風が鼻を通る。

六月の初め、僕の地元では、都内でも屈指の規模の祭礼がとり行われる。

もの心つく頃から、四十を過ぎるこの歳まで、毎年このお祭りを僕は楽しみにしている。

歳はとっても、一年の中の、人生の中の一つのリズムになっている。

(もうじきだぁ)と感じさせてくれるのが、この青臭い匂い。

熟した樹から滲み出る分泌液の、生きた匂いとでも言いましょうか。

幼少期、遊び場だった家の前のお寺の境内にも生い茂っていた。

そのお寺のお使いのおばさん曰く、

「椎の樹」の匂いだという。

僕はこの匂いが好きだ。

町の樹や花が香りを風に乗せて、季節の到来を知らせてくれる。

毎年の事ながら、心躍る自分がいる。

僕の身体も自然の一つなのだろう。

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2007年5月15日 (火)

宝くじ

今回はおそらく当たるであろうと、きっと当たるはずだと確信にも似た感覚を持って、宝くじを買った。

家内に『 今日は絶対買うから、今日こそは忘れないでね 』
と朝、家を出る仕度をはじめる頃から執拗にそう言った。

『理由は訊かないで』、『言わないけど』、『今までは言っちゃったから当たらなかったんだよ。』

これは、察しのとおり《 夢見 》のことだ。

かなり前、十数年も前のことか、あまり年数は関係ないのだけれど、
宝くじを買うと袋ではなく、三つ折の包装紙に挟んで渡された時だ。(たぶんバラ買いの時)
その包み紙に当選者のエピソードが綴られていたことがあり、この時に読んだ《 夢見 》の話が忘れることができない。引っかかる。
その《 夢見 》を信じ、というか標というか、宝くじ購入の最大の決め手と考えている。

その話の当選者は、『 富士山 』のくっきりとした夢を見たその日に、宝くじを購入し、
1等、一千万円を当てましたという内容だった。
さらに、一富士、二鷹、三なすびという良しとされている《 夢見 》が、幸運をもたらすよ、というものだった。

そして僕の見た夢である。

頂を白く染めた『 富士山 』が裾野まで、かなりくっきりと、・・・でもないか、
それでも見紛うことなく『日本一の富士の山』である。
そこに、その青い空の風景に『二鷹』どころか、一羽の丹頂鶴が飛来してきたのだ。!!!!!
こんな夢、脳みそにどんな細工をしたって、めったに見られるものではないはずだ。
あまりにもお目出度いその夢が、宝くじの当選を予期せずして、何だというのだ。

そんな思いを胸に、僕と家内は(ではなく僕は家内と)フラフラと休日の街に出た。

「宝くじ、宝くじ」と思ってはいても、過去にやはり《 夢見 》で、うっすら現われた『 富士山 』程度で当選がなかったことや、
また、くじはやはり運ものだとおもっているので、わざわざ「よく当たる!」とか「1等出ました!」という看板の店にまで行って買うという主義でもなく、
フラフラした流れの中で宝くじ売場があって、買えれば良し、なのだ。

そして、横浜、川崎と回り、最後、家に近い大井町に着いた夕方、家内言われるまで忘れていた宝くじ購入を果たすことができた。
スクラッチ10枚と東京都バラ10枚の都合四千円分を購入。

『連番じゃなくて、イイのぉ?』
と家内は言う。
前後賞合わせ1億円だからだ。
『ああ、いいんだ。』
僕は金額ではなく、高額を当てたいのと、
『番号を確認する楽しみがないから、バラでイイ』
と答えた。

抽選日の確認もせぬまま、二週間ほど過ぎた。
これまた、家内に言われ気づいた。
インターネットで宝くじのホームページを検索し、いよいよ当選番号の確認。

1等、僕は「組」と頭の番号から確認をする。そして、下の桁へ、・・・残念。

結果は5等一枚、6等一枚の1,200円だ。
『富士山と鶴』の《 夢見 》でそれだけかと思うなかれ、
2等、1千万円の当選番号が「18組 18●●●●9」
そして、僕が買ったくじにあった番号が「18組 18●●●●2」

ちょっと痺れた。

僕はバラを買って、7番違いだったから、バラを10セット買っていれば、一千万円は当たっていたということになる。
その売場には「2等、一千万円出ましたぁ!18組 18●●●●9」と貼り紙がなされているだろう。

《反省と対策》
僕は今度から、そんなイイ《 夢見 》の時は、フラフラと無意識に買うのではなく、
バラを100枚買ってみたり、『当たり出ましたぁー!』の売場に足を運んでみることにするかなぁ。

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